2018年ありがとうございました。
年末なので思うままにだだだぁーっとしたブログ。かなり長くなってしまったのでお暇な方はお付き合いください。
このブログ記事は残しておくかどうか疑問。
カーチャ干支一周
どのタイミングでこうなったのか?今ではあまり覚えていないほどのゴマ粒程度の決意で始めたカーチャですがお蔭様で干支一周しました。
鍼灸師になる
今ではブラック企業と言われるであろう労働下で文句をいいつつも会社員を満喫していた頃、そろそろこの業界も終わりだなとぼんやりと考え、営業とバトルすることにも疲れ転職を考えだして思いついたのが「鍼灸師になろう」だった。あまりにも安易だが思いついたのだから仕方ない。
夜てけてけと歩いている時の思い付きから何年経つのだろう
あの頃は若かった(と言ったって30歳手前だったけれど)。。。今までの生活を一変させること、学生になること、収入がなくなること、マニキュアを剥がすこと、そして学費(これはかなりの大問題)いやその前に学校に入学しなければ何も始まらないこと。ものすごく短期間でこれらのことをひとりで誰にも相談せず考えた。思いついた時はすでにその年の入学試験は終了していて来年の為に渋谷にある学校まで学校案内みたいなものを頂きにいった記憶がある。人生の流れとは面白いものでこの頃よく一緒に飲んで遊んでいたのが中高校時代の倫理の先生。「どこで飲んでる~?」と電話すると(携帯電話万歳)大抵そこらで合流できた。志望校の過去問題を見せて他の先生とも検討してくれて受験勉強用のヒントをくれた。とにかく身に付く勉強というものをしてこなかった私には有難かった記憶(国・英・数・小論)学校には二次募集まであったけれど1回で合格しなければ流れじゃないんだなってことで二度はチャレンジしないと決めていた。深夜まで仕事しつつ早朝の赤坂(当時の職場)とたまの休みが勉強時間。よくぞやったものだと自分で褒めてあげたい。当時を知る同僚はこの時期の私は怖かったらしい。(時間のロスが最大の敵)入試の学科をクリアし面接で校長先生から「頑張りましたね」と言われたのを覚えている、きっとスレスレだったのかな。小論文(確かあなたが幸福だと感じることとかそんなものだった)は笑って「面白い視点ですね」と言われた。(全部読んでいる?ことに驚いたけど)入学してからもこの校長先生は毎朝入り口(校門はない)で生徒に挨拶するために外に立たれていて声掛けしてくれた「勉強頑張っていますね」とか冬などは「寒いからご無理のないように」なんて言ったのを卒業式後の仲間内の打ち上げに足を運んでくださった時に「年寄扱いされた」と言われたのを覚えている。前述したとおり人生で身になる勉強をしてこなかった私にとって本気でやった3年間だった。国試の為、ともいえるけれど面白かった。なんで今まで勉強しなかったのだろう。学ぶって面白いって思った。(遅い!)
教習所で免許をとってから車を運転出来るように、結婚してから二人の人生が始まるように鍼灸師も免許を取得してからやっと他人様への治療が始まり鍼灸師としてのスタートをきる。学校卒業後はそれまで勤めていたサロンでロミロミマッサージと希望の人への(すでに顧客がついていたので)鍼灸治療。いや~よくぞ卒業したての私にカラダを預けてくれたかと感謝しかない。ここは好きなことをしていいよーというサロンだったので、好きにやれたけれど、好きにやるというのは大いなる可能性があるようでベースがないと成長もない。カナダで鍼灸師として働かせてもらえるという募集に応募してみたけれど、年齢がネックでワーホリを使えない為断念せざる終えなかった。あれ?免許取ったのに、どうすればいいのかしらん?とにかくどっぷり鍼灸師を味わいたかった。そこへ学生時代勉強会でお世話になっていた治療院の募集を見つけお願いしてみたところ快く?引き受けてくださり、晴れて鍼灸院に努める鍼灸師となった。これで一人前の鍼灸師になれるぞーと!
甘かった
バブル時代に社会人となり社会はなんて素敵にパラダイスから始まり、転職後も労働は今ではブラック指定されそうだけれど好き勝手に言いたいこと言って結果を出せば文句は言われない(言わせない)環境で働いてきて、少々鍼灸業界に精神的きつさはかんじていたけれど(首になったりしたし)ここまで辛かった記憶はなかった。何がそんなに辛かったのかよくわからない。
正直労働量は大して問題なかった。なんたってOL時代がブラック経験者ですから。寝ないで仕事そのままタクシーで帰宅してシャワー浴びて飛行場へ向かうなんてこともあったし、赤坂の美容院でシャンプーお願いします~(職業なに?)とまた仕事なんてこともしてきたわけだからね。とにかく精神的にありえなかった。重箱の隅まできっちりと言われた通りに足並みそろえ得てイッチニサンシ。朝から晩まで。どこで息すればいいのかわからなかった。とにかく足元すくわれないように過ごす、いいことなのかそうでないのか考えない。これを徹底した。そして休みは貧血でぶっ倒れた。1週間以上食事を受け付けないこともあった。食物を口にすると気持ち悪くて吐く。院長には「つわり?」なんて言われた。そうならどんなによかったか。
ここまで追い込む理由はなかったのかもしれない。自分で自分を徹底して追い込んだ気もする。もっと周りと楽しむという方法もあったのかもしれないけれど、閉ざすことが一番楽だった。
自分の居場所
ジャンプする前にはしゃがむことが必要で徹底してしゃがみこんだ時期なんだと思う。占いの話になるけれど知人は大運を迎える前にそれまでそこそこうまくいっていた仕事を打ち切り、全く未知の仕事、影の仕事にひっこんだ。飛ぶためだと言っていた。私が仕込んでしゃがみこんでいたわけではないがたぶん勤務時代はしゃがむ時期だったのかもしれない。(残念ながら人生の大運と言われる時期はとうに終わっています)
幸い鍼灸師という仕事が嫌になることはなく、この後続けるための場所をふらりと立ち寄った不動産屋さんで決めて始めたのがカーチャです。
大いなるジャンプとまではいきませんが、よくぞ悩まず開業したな!と言ってあげたい。立地とか集客とか色々と考えたりしていたら開業なんてたぶん出来なかったと思う。勢いと言う意味では大ジャンプだったと思う。
12年何をしてきたかな?と振り返ると鍼灸という道具を使ってニンゲンさんと向き合ってきたよう感じている。カラダは正直。今カラダに現れていることはその人の歴史、その人の性質。
「○○なんです」→「ではこのお薬で」というのとは違って、患者「○○なんです」という症状をどんな風に?どんな時に?から始まって口にするもの、排出するものその人が過ごす環境、幼少期のことなどなど自身が普段気にも留めなかった普通という言葉をしつこいまでに絡んだ紐を解いていく。こんなの面倒だ、と感じる人も少なくない。実際面倒だし、自分と向き合う時って見たくない自分とも向き合うことになる。そんなのどうでもいいわ、すぐ治るツボないんですか?すぐ治る漢方ってなにかありませんか?(いや~薬剤師じゃないし)と聞かれることは多々ある。
どうしたらいいかわからないを繰り返す。わからないからこれは自分の体質で体質は変わらないから仕方ないという人も少なくない。生まれ持った顔は変わらない。どんなに頑張っても私が井川遥(最近の一押し美人なの)にはなれない(整形って技術もあるにはあるけれど)とはいえ、実は顔は変わる。
どうしたらいいかわからないと足踏みしている時はなにも変わらない。
どこをどうしたいか目標を見つけて進みだすことで人は変わる。その時は治療家の力は微々たるもので、自分自身が変わるのだ!という状況にスパイスを入れるようなもの。そのスパイスを受け入れた人は変わる。スパイスは隠し味だけれどもそのものを陰ながら光らせてくれる。
治療家としてはどうなのかな?と思うこともある。お任せください私が治します!という姿勢というより、なりたい自分に導く案内人みたいなもの。
勿論改善する治療はするけれど、ここを出た後原因となりうることを繰返していては変わらない。
「冷える冷える冷え性なんですー」と言って毎晩ビールを飲んでいる。という人もいる。
ビールと言う飲み物が冷えに結びつくということを知らないだけなら知ったうえで改善すればいい。でもビールやめないで温活している。でも冷える。私は生まれつき冷え性なんですという。どこかおかしい。
自分と向き合うことにお付き合い頂いている方々は、ある程度自分で解決できるおカラダを手に入れています。ホントに嬉しいことです。
私は治療家としてカリスマになることでも、ゴッドハンドになることでもなくて何気ないことをスパイス的に付け加えて、なんか変わったなと思ってもらえればそれでいいと思っている。
伝えたことなど忘れてしまって、カラダが自然と覚えていて快適な日々を送れちゃっているなんてことになっていてくれれば嬉しい。
自分の居場所を作ってから私自身も軸を作るのに12年も掛かっていたのかもしれない。12年、自分に問診し続けてきたのかもしれない。色々なスパイスをぶっこんでだいぶコクが出来てきたと思う。
ベースは変わらないけれど、今までとはまた違ったスパイスを加えて益々面白く生きようと思う2018年師走でございます。