東洋思想を学ぶ時に出会う五行色体表。鍼灸学校ではとにかく暗記して暗記しまくる記号でした。古代の人がわかる為にわけたこの自然界の法則ですが、秋になり肺のことを考えているとなぜ肺は金なのかと、金に象徴されることがすっとんと自分の中に落とし込めないうちに冬になります。(また来年!)いつになったら金のことがすっとんとするのかな。
五行・金
東洋思想を学び始めると漢字ばかりで、漢字LOVEな人でもなければ触れた途端にもぅ無理と
投げ出してしまいたくなるのでは、と自分に置き換えて思ったりします。
五行を体制化した時、象形文字をみていると漢字も記号のように使っていたのではないかと想像します。
自然界に存在するものを全て5つに分け、その分類になんとかあてはめて作り上げた部分もあるのではないでしょうか。もともと分かれていたものではなくわかるために分けたもの。
それだけに金の性質に当てはめるものとしても見方を変えると水っぽいとか土っぽいなんてこともあります。何を対象とするかによって異なった姿を見せる、ある意味ちょっとアバウトで想像力を要する、コチコチに考えないのが東洋思想なのかもしれません。
金をどのようにとらえていたのでしょうかね。
金に属する秋は「禾」「火」と書きますが、秋になり収穫した穂を火で炙って干し、防虫・殺菌し保存したことを意味するそうです。次季は冬であり蔵する季節に向けての準備です。
西は終わりを意味しています。終わりがあれば始まり有。次を始めるための準備に入るとも考えられるのではないでしょうか。
収は収斂、植物ですと内側の種へDNAというか生命情報を縮めひとつにまとめ実は成熟してその種を守り大地へ返ります。人間都合でやれ食べごろだとか収穫時だとかでもぎ取ってしまいますが、種は土に返りまた新しい生命を生み出すという循環です。
体では五臓の肺、主要な働きと言えば呼吸です。酸素を吸って二酸化炭素を排出することは綺麗なものを取り入れて汚いものを排出する、吸うために吐く。これにより生命に必要な酸素を取り入れることが出来、新しい生命活動がなされています。
金の性質は次へのステップの為に要るものと要らないものを分ける、そして捨てるということでもあるのでしょう。
「四神聖獣」という方位を守る神、西は白虎。白虎は態度を決めかねている中途半端なものを食い殺すそうな。正誤ではなく中途半端に未練たらたらとかうじうじして手放せないとかそんなものを迷いはなし、バッサリ。そんなところから五色では潔白の白。
夏が終わるころから「断捨離しています」「とにかく不要なもの処分するまでは新しいものは買いません」という声を耳にする機会が多かったです。これも金・秋の流れでしょうかね。「もしかしたら要るかな~?これ」という「もしかしたら」というものはばっさり断捨離するのがこの時期のポイントかもしれませんね。
身の回りのものを見ていると本当に必要なものなんてないのではないかしら?と思ったりします。ただ、使えるのに勿体ないという理由で所有しているだけなのかも。
生きるにぎっちぎちに凝り固まっているより、余白があったほうがいいと思うのです。空間の余白は物がないことで作られますからやはり物はため込まず。また気持ちの余白は不要なもの、遊び心とするならば多少の無駄なものもいいのかな。と思ったりして。なかなかがっつり断捨離までいかず、これでは白虎に喰われてしまう。。。と五行・金・秋と向き合っている今日この頃です。