季節の移り変わりを考えると人が過去のことを忘れる生き物であるということを感じるのでした。
最低気温がヒト桁が日常となっておりますが、皆様朝はシャキッと布団から抜け出せているでしょうか?これからしばらく布団の中こそパラダイスさ!という日が続くのでしょうね。
「寒くなったので(当然)トイレの回数増えていますよ」と顔を上げ当たり前でしょという姿勢を示す方もいらっしゃいます。
確かにね、寒くなった→小水回数増加ありますよね。ですがそれは寒邪に五臓の腎(陽気)が侵襲されて腎の働きが弱まっているというサインで腹腰足を温めましょうねという警告です。
さぁ温めましょう。
加齢による小水回数増加というのもありますね。なんとなく行きたい、行っておかないと不安、ちょぴちょぴ出る。夜中にトイレで何度も目が覚める。
なぜ年を取るとトイレが近くなるのか?
それは五臓・腎の気が衰退していくから。衰退・・・なんか悲しい文字です。でも仕方ありません。腎精(生まれながら持った生命力)は永遠ではありませんから。
腎は解剖学では腰に二つ並ぶ臓器で体液のろ過装置ですが、中医学では体液の代謝活動の他に重要な任務を担っています。それが生長・発育・生殖です。赤ちゃんがオシッコをコントロールできないのは腎の気が未熟だから。また加齢によってオシッコの調整がうまくいかなくなるのも腎の気の不足によるものです。
尿意を感じたらその場でするわけにはいきません。自分の足で歩いて“用を足す”為にトイレまで行かねばなりません。ここで必要なのはトイレまで歩いていくための足腰が丈夫でなければなりません。これも五臓の腎の気によって支えられています。(腎・精・髄・骨)
私の数少ない願いの中に死ぬまで自分の足でトイレに行きたい。たとえ履くタイプのおむつをしているようになったとしても自分の足でトイレに行って用を足したいということがあります。出来ることなら棺桶にも自分の足で入っていきたいと思いますがそれは流石に無理というものですね。
生きている限り加齢症状というのはぼちぼち、時に急激に感じるものです。受け入れつつ、腎気を損ないすぎないように対応して過ごしていこうと思います。
腎気不足サイン
- 尿意が近い
- 夜中に何度もトイレに起きる
- 尿意に勢いがない
- 足腰が弱くなった
- 足腰の痛み
- 踵の痛み
- 足腰が冷える
- 歯が浮きやすい
- 髪が薄くなった
- 髪が抜けやすくなった
- ・・・
腎気を補う
- 冷えを自ら作り出さない
- 足腰を適度に使う
- 他者とのコミュニケーション
- 目を酷使しない(PCやスマホなど)
- 肉魚もしっかり食べる
- 肉骨ごとの煮込みや骨まで食べられる魚料理
(おまけ)
ボヘミアンラプソディで再びクイーン旋風が巻き起こっております。
フレディマーキュリーの華麗なる姿もあちこちで見かけると同時に彼の別の一面をあえて取り上げる人もいて人間とは悲しい生き物だと感じることもあります。
彼の最後で最愛(と思いたい)の恋人であるジム・ハットンさんの著書「フレディマーキュリーと私」の中で彼の最後の言葉が「おしっこ・おしっこ」と言ったことについて、あのフレディマーキュリーの最後の言葉がこれかよ笑える、など感じる人もいるようです。(彼のセクシャリティを忌み嫌っている?嫉妬)ジムさんの記述によれば最後は失禁した直後彼とフィビーがシーツを変え着替えさせようとしていた際に亡くなったとあります。
人の人生の終わりは腎精の尽きる時です。上記したように腎の気は水の代謝・泌尿器と関わります。ですから腎の気が尽きる時、尿意、失禁はその働きが途絶えたニンゲンの現象でしょう。なぜ彼(ジム)がそこまで詳細に記したのかはわかりませんがフレディがずっとフレディマーキュリーと言う人物を演じてきて旅立ちの前に何物でもない人として生きていたのだと感じていたのではないかと想像してみたり。
私の祖母が亡くなる前夜、看護師さんに「トイレトイレ」と言うのでそのままして大丈夫と言っても聞かず、仕方なくトイレに連れていったら(転倒を心配したのでしょう)すっきり排便したのよと聞かされました。その時は「おや、まぁ。旅立ちの前にすっきりしてよかったね」などと言っておりましたが、腎精の尽きる時、旅立ちとはこういうものなのだろう。とその時のことは誰も教えてくれませんが、きっとそうなのだろうと想像してみるのでした。