脳疲労という言葉、最近ではあちらこちらでお見かけします。私が従事したヘッドマッサージの第一人者である山本幸恵先生が発信者と記憶しています。
ヘッドマッサージをはじめた10年以上前よりネット社会はより拡大し、家または職場など固定した場所からスマホというカラダの一部かのような存在で常に共に過ごすようになり、気づかないうちに脳は刺激を受け疲労しているような印象です。便利なようで不便と感じるシーンも多々あり。
観劇やライブ、映画など外の世界と繋がる一枚のチケットを入手するまでに申し込みポチ入金ポチ発券ポチ。その都度ログインを求められる。
先日、出かける前にチケットと思って取り出したら「これは払い戻し時の為の控えです。これでは入場出来ません」と書かれていて「えっ!発券していなかったのか」(あれこれ発券したりするからひとつひとつ覚えていない)と会場へ行くまでに指定コンビニに立ち寄らねばと汗汗。何気なくマイページを確認したら発券済みの文字!再び青ざめる。チケットがない!と思ったらその払い戻し用控えとくっついて(折りたたまれて)そこにずっとあった。もうほんと疲れる自分。
まぁひと安心で会場着。この日は演劇、小さな会場にも関わらず前から2列目ほぼ中央。演劇素人の自分としてはえぇぇぇ、こんな前でなくても。(眠くなったらどぉーしよぉー)幕のない会場なのだけれど演劇の世界って独特でいつから始まっているのかよくわからない、開演前からなにかがはじまっている。
いよいよ開演時間になると目の前のスピーカーから雷のような爆音♪♪♪!!!ひぇ(誰も寝てはならぬ、ってことか)
演出の中で拡声器をマイクにするシーンもあり、生演奏バンドもあり、かなり刺激的。セリフは人生というか思想、哲学というかすぐには理解しがたい文脈にストーリーはわからず。それでもそこに広がる世界を理解したい欲もあり、演者のオーラというのか照明抜きにしても放たれるオーラに驚き、人間ってこんなに光るのか?私にオーラが見えるようになったのかと不思議な気分
帰宅して日付が変わった1時頃、さぁ眠ろうとベッドに入る。いつもは30秒程で意識がないのに、おや?眠れない。お腹空いているのか? 2時になってもお目目パッチリ おやおや困ったけれど眠れないものは眠れない。作りかけの縫物をはじめた。ここでPCやスマホは良くない。さらに脳が覚醒されてしまう。縫物もどうなのだろう目を使う、3時になるもお目目パチクリ。こりゃ朝までダメだな、縫物すすむ。4時を迎えもう朝だと寝ることをあきらめる。外泊すると稀にある不眠だが今回はマイベッド。こりゃあれだ、あの90分の爆音と普段使わない思考領域が脳のスイッチをONにしてOFFにならなくなったのだろう。先日ブルートゥースのスピーカーが突然ものすごい爆音でガァーっと唸り出しスイッチオフができなくなったのだけれどあれと同じような原初なのかもしれない。脳活性か覚醒か壊れたかマイブレイン
翌日、ちょっと気持ち悪く食欲がないけれど眠くて倒れそうになることもなく仕事をこなし、さて夜だ。ネットの世界はメールチェックと返信のみで寝るぞとぬくぬく布団に。流石に寝ついたけれど0時前に寝て覚醒4時。うーんどうだろう。眠くてしんどいでもなくパッチリ覚醒。二度寝は苦手なのでとりあえず起きるが外は暗い。
気の必要以上のそして急激な上昇はその後急激に落ちます。人は頭を上にしていられなくなれば倒れます。上と下のバランスが大事。頭ばっかり族で上ってしまった時は陰のもの、野菜たっぷり出来ればちょっと貝でも使った料理をいただきましょう。そして入浴はぬる湯がよい。
東洋医学で気の上昇に肝陽上亢とか肝火上炎とかあります。そのバックグラウンドには肝腎要の肝腎の陰の要素が不足しているということがあります。特に更年期というお年頃だと不足傾向です。
あの会場で聞いた爆音が悪かったということではなく受け側の許容範囲を超えてしまったということでしょう。
こういった刺激は爆音だけでなく日々見続ける過剰なネット情報や光を浴び続けることなどが鎮静に必要な陰を徐々に徐々に消耗させています。ネット社会、ほどほどの距離感で付き合っていこうと思った年明けでございました。
日々の暮らしで東洋医学。こういうことから学びたいのではないけれど不調から得る学びは大きいです。
脳疲労を感じたらカーチャのヘッド鍼灸セラピーをどうぞ(2024年より施術費改定しています)