毎日たわわになっていく桜を見ながら、なんで毎年桜の開花で大騒ぎするだろうか?
だっていつもそこに木はあるのに。
まぁー単純に木であってこんなにも美しい姿を見せるものはないからか。。。
と思った週明けの朝です。
数年間カーチャをご利用頂いている方
初診時、持病をお持ちで精神的にも辛い経験もされていました。
「無神だな」という印象
お体を拝見する時は
望:目を使って視覚的に観察する
聞:聴覚と嗅覚を用いて観察する
問:症状についての質問
切:触覚的に観察する
というのがあり、望診の中に神を観るというものがあります。
神は精神とか活動力とか意識や動作の状態。
顔や目に輝きがある、表情が豊か、感情表現がしっかりしている、会話がきちんとできる、問いかけに反応する、声に張りがある、呼吸が安定している、肌の血色がよい、姿勢を保てるなどという状態は有神であるといいます。
宗教的なことではなく、神はその人の中にいるものなのです。
で、有神でない状態が無神
有神である状態は「あったりまえー」と感じるかもしれませんが、意外と当たり前でもないのです。
たぶん、ひとつやふたつ思い当たることが誰にでもあるのではないでしょうかね。
私自身も「目が死んだ魚だな」と鏡を見るたび思っていた時期がありました。
話は戻って、「無神だな」と感じていた方は問診の際にも「はい」「いいえ」「別に」と自分を表現する言葉は最低限、顔の表情はなくご来院時もお帰りになる際もいつも下を向いている印象でした。
数年前からぽつぽつと言葉数が増え、最近では自分からカラダに関すること以外のこと、こまったなぁーってことやまいったなぁーってことや嬉しいなぁってことなどなど、お話されるようになり、何より表情筋を動かして笑います。before・afterとしてこれはなかなかすごいことだと感じますよ。
神が戻ってきた。
ここに至るまでひとつひとつ自分の中で色々なものを消化してかみ砕いて受け入れていったのだろうと思います。
たわわになっていく桜をみながら、いつもいつも華やかではいられないけれど散ってもまた咲く時を迎えることが出来る姿をどこかで自分と重ね合わせて勇気づけられるのかな?と感じた週明けの朝でした。
今週も健幸に過ごしましょう♪