はじまりは視点のバウンドだった
かれこれ5年くらい前だろうか、文字を書こうとしてペンを持ち、紙を見るとバウンドしてペン先が下せなくなり、そのうち直線が書きづらくもともと達筆でない文字が益々歪んできた。なんだよこれ。そしてだんだん細かい字が見えずらくなり読むことが億劫に。もしかしてこれは噂の「ろ、ろ、ろうがん」と1000円のゆる~く手元が見やすい眼鏡をコンタクトの上からかけて見たらおや不思議とてもクリアになった。やーねと思いながら暮らしていたらゆる~く手元が見やすい眼鏡の調子が悪くなり、もすこし手元がよくよく見える1500円の眼鏡に変えてみたらおやおやよく見える。すべては眼鏡のせい。ふふふ
遠くが見えないのでコンタクトを装着しているが裸眼の時に手元をみるとよく見える。とてもよく見える。だけれど遠くが見えない。すべては手元がよく見える眼鏡のせい。またまた手元がよく見えなくなり仕事で使う鍼が数えられなくなり(鍼の本数は刺す前抜いた後必ず数えて確認が基本)思い切ってコンタクトを外す。わたし脱いだらすんごいです。
ふふふん0.12~0.24mmまで鍼がよく見える。だけれど時計が見えない。見慣れ歩き慣れた土地は問題なし。問題があるとすれば知人があちらから歩いてきたとしても激近でないと気づけない。都内や知らない時は靄の中。数年ぶりに近視眼鏡(乱視もはいっているよ)を作った。きちんと検眼していただき近くを見る眼鏡も作った。正直近くを見るには今のところ裸眼が一番、となるとすっと外せる眼鏡がよい。が眼鏡の似合わない服装もある、ずっと眼鏡をかけていると肌に痕がついて嫌。お年頃って大変
こうして見えないものはその都度フレキシブル対応すればいい。がフレキシブル対応な数年を過ごしてきた今、見えない見ずらい問題以外に集中力の継続が困難になっていることに気づく。本を手にして文字を読み脳に送る、PCに向き合って文章を組み立て脳に送って文字を打つなど視覚を使う作業がとても億劫
五感 感覚器の役割
視覚聴覚臭覚味覚触覚これら感覚器の役割は情報を入れたり出したり外の世界とと内の世界を繋いでくれる。それらの不調は外と内を繋ぐ機会を減らし自分の世界に籠りがちになっていくように思う。
耳の聞こえに不調を生じた方と関わることが多いが音が入ってこない、その都度聞き返すことに申し訳なさを感じたり会話が億劫になる、外音、自分の声が響き外と内の連絡を遮断したくなる。こういった不快感は勿論改善してくればまた外と内を開通出来るようになるが高齢による聞こえずらさから徐々に鬱症状になってしまったというご相談もある。視覚も同様でないか。
外からの情報刺激が減ってくれば脳への刺激が減り高次機能の低下にも繋がってくる。脳が刺激されなければ表現することも不器用になる。
年をとると言うことはこういうことかと更年期に未来予想図を思う。がまだ外と内を繋げて生きたいと愛でるん手間増量中