朝目覚め晴れていれば陽が上るのを見ている。雨曇りの日が続き朝陽にご挨拶していなかった数日の間に随分と日の出時間が早くなった。早すぎないか?置いていかれてる。気が付けば3月中旬。
青春期成熟期食べることも寝ることも圏外な日々を送っていた自分がどうしたことかここうん十年はカラダと向き合う人生を歩んでいます。人生わからないものです。
東洋医学で人は気血水(津液)で成り立つ(プラス精と神)とされています。どれが欠けても具合が悪い。数年越しの不調を抱えてご来院される方、少しずつ気血水、必要なものを補ったり、それまでため込んだ不要なものを取り去ったり、当初の不調が和らいできているものの「まだまだですね」と嘆き悲しまれる(ちょっとオーバーですが)ことがあります。実際そんなこともなく自分では気が付かないところでそれまで出来なかったことが出来るようになっていたり、抱えきれないものが抱えられるようになっている日常がそこにあります。変化についてお話すると「そういえばそうね」と次への励みになるのでしょう、また一段また一段とステップアップされていきます。人は変われる。
自分というものについて振り返ったり向き合ったりする更年期。恐らく今までとは違った思うようにいかない経験をするからではないかと思います。エネルギー的には山のぼりではなく山くだりという背景で塗りたくっても引っ張ってもアゲアゲな感覚に乏しい。30代頃までは両親から頂いたエネルギー(先天の精)と言われるストックエネルギーがあるのでまぁまぁ無理しても貯金がたすけてくれます。自分の力のような錯覚をしているけれど結局頂いたもので補われています。時間は無条件に刻まれ貯金は底をついてきます。わずかなエネルギーで回るはずのないカラダに嘆き悲しむかわが身を立て直すか問われるのが更年期なのでしょう。更年期それは単なる人生の一部なのに更年期障害なるネーミングが私たちを病気にしてしまっているような印象もあります。更年期=仕方のない不調期
実際、更年期はあれこれ今までになかった心地よくない症状が現れます。ですが生長期だって心身の変化はありましたし人は変化する生き物、今のところこれが自然の法則なので致し方なしです。
ただ更年期以降は貯蓄が少ない、助けがない。気血水を充実させるために自力の努力が必要です。努力ですよ、そこは努力。自然と湧いてこない。自然と助けてくれる時代は終わっているのですから。
ここからが自分が作り出すステージなのかもしれませんね。おフランスで更年期は人生の午後・APRES MIDI DE LA VIEと表現すると聞いたことがあります。人生の午後、どんな人としてどんな時間を過ごしていくかいきたいか。自分で創る更年期
先日クラシックギターの生音を聞かせて頂く機会あり専門的なことは全くわかりませんがその音色はカラダに染み入り我が細胞をピカピカ磨いてくれたように思います。(なんだか清々しいのです)そのギタリストの方のコラムに、ある神と拝めるほどの方からのアドバイスで「弾くか、弾かないか、なんだ、練習とか、そんなものは関係なくなってしまうんだよ、本番においては」とはぁ天才は練習なんて関係ないんだと神から授かった才能に恐縮していたそうです。
数年後どこかでその神なる人のエピソードを読むと10歳の時、父親からお金がなくなったので学校へ行かなくていいと言われて以後朝から2時間は音階練習を弾き、10時間はギターを弾いていたというのを知り(練習してんじゃん、猛烈に練習してんじゃ、、自分なんて全然足りないじゃん)唖然としたとのこと。神をを作り上げていたのは基礎、基礎基礎。感性で生きる、感性で奏でられるというのは基礎の外側に成立するものなのでなんちゃってなものは一時の派手さはあっても染み入る感動までは生めないのでしょう。
こういった特殊な領域の方はね、とも思いますが生きることには軸・土台があり、それを磨いて磨いて磨きぬいて生きるのだと、そんな風に思います。
いくつになってもいつからでも愛でていきましょう。