【シネマ】令和になってみた映画

令和になって見た映画。

自分の記録用に。

ホワイト・クロウ

バレエダンサー ルドルフ・ヌレエフの自伝映画。公開前から見たい見たいと楽しみにしていた一作。監督は名優レイフ・ファインズ。作品にも主要人物として出演しています。と知ったように書いてはいますが、「誰だっけ?」と思いながら見ていましたところヴォルデモートでした。
私が好きな007にも出演していらっしゃいますが、役によって全く違った人物になりますね。
次回007ではMとして登場されるようです。

主演のオレグ・イヴェンコの演じたヌレエフが神経質で繊細そうなところとか頑固そうなところとか(勝手な想像ですがね)目力とか(会ったことないですけどね)伝わってきたしました。(イヴェンコさんはタタール劇場の現役プリンシパル)セルゲイ・ポルーニンのバレエもさりげなく見れてよかったのですが、愛と悲しみのボレロのモデルとなった空港でのパリ亡命シーンに焦点が当てられて終わってしまうことがなんか物足りなさを感じました。「えっ?ヌレエフのバレエ人生ってここからじゃないの?」てな感じです。確かに当時のソ連での抑圧があったからこそ彼のバレエが生まれたのかもしれないし、列車の中で誕生し、ダンサーヌレエフ誕生としてはあの亡命シーンがポイントなのかな、とは思うのですがね。

氷上の王 ジョン・カリー

見れてよかった映画。というのも実際に観る機会はあったはずなのに全く存じ上げなかったことが残念でしかたないと思う程に美しいスケートでした。今や日本のスケートレベルが高まりTV中継にも熱が入っていますが、残念ながら私はあまりアイススケートに興味がありません。(ファンの皆様ごめんなさい)唯一浅田真央さんのスケートは美しくて好きです、ソチオリンでのラフマニノフでの演技は何度見ても涙が出ます。あれは競技ではなく芸術でした。芸術は得点をつけて争うものではない、美しいものは美しいのです。そんなこともあり、初めてみたジョン・カリーのスケートはあまりに美しく、映像を残してくれていたことに感謝したいです。

ヌレエフもジョンも難しい時代に生きた人だったと思うけれど、自己表現とは抑圧の中から生じるものなのでしょうかね。心に響く芸術として年月が経っても人々を感動させてくれます。

ある少年の告白

ルーカス・ヘッジズ主演、ジョエル・エドガートン監督作品
一部の教会が神の名のもとに、性的指向におけるジェンダー・アイデンティティを持つ人々の人間性を強制的変化させ異性愛者へと更生させるためにある施設で行われていたプログラムについての実話。

こういった人間を支配してしまうような施設は問題として取り上げられても手を変え品を変え消えることはないように思います。なぜならみなその行いが正しいことだと信じて行われているからでしょう。恋愛のみならず人にとっての普通とは自分の知る範囲でしかなく時代によって普通は変わってきます。時代が違えば私なんぞ魔女狩りにあっていたかもしれません。現代では恋愛に関して普通の定義も変わり理解することが出来るようになりましたが、先のルドルフ・ヌレエフもジョン・カリーも同性愛によるAIDSで若くして亡くなっていることを思うと残念ながら生物学的には適していないのかもしれません。感情と生物学の相いれない悲しい部分です。
印象的だったのは映画の最後の方で息子(ルーカス・ヘッジズ)が牧師である父親(ラッセル・クロウ)に理解してくれないのなら親子にはなれないというようなことを伝えます。それに対して父親の“息子”に対する想いや描いていた事などを押し付けるでもなく息子に聞かせます。息子の自分のことを父に理解してほしいという気持ちも痛いほどわかるのですが、パパさんだってはじめからパパさんだったわけではなく、息子の成長を見ながらパパになっていく中で色々描いたものがあったのだと思うのです。そこで予想外の絵具をぶわーっとぶちまけられたら「えっーーーちょっとー」となります。ずっと息子目線で映像を見てきて最後にパパ目線を交え互いにわかりあいたいけれどもという、なんとも切ない感じでした。
親子といえども同じ道を歩けるものではない、お互いが同じものを望む人生ではない、親子って個々の人生を受け入れ合う最小単位なのかもしれないです。母親役のニコールキッドマンがこのあたりをうまく表現していたなという印象でした。

ベン・イズ・バッグ

こちらもルーカス・ヘッジズ出演、ジュリア・ロバーツ主演でルーカスのお父さんピーター・ヘッジズ監督

薬物依存と闘う親子の話です。親子を取り囲む人々は登場しますが、ジュリアロバーツとルーカス・ヘッジズの二人の演技が強烈過ぎて二人のことしか覚えていないかも。薬物中毒というと怪しいところからつい買っていつの間にか中毒になっていたという流れを想像しますが、主人公のように処方された鎮痛剤から中毒になってしまうということはアメリカドラマなどで見る機会もあり現実問題なのでしょう。更生しようとする息子と信じたいけれど簡単に戻ってしまうのではないかと心配する母親のぎこちなさが切ない。そして全てを投げ捨て息子を守ろうとする母親の姿が息子への依存として描かれているようにも感じます。人は対象がなんであれ何かに依存して生きているのかもしれないなと、生きることは何かに依存しているのかなと。私は何に依存して生きているだろう。
タイトル通りベン・イズ・バックなのですが、エンドロール中にこの後どうなったのか?命程貴いものはないのですが、これがよい選択だったんか?と考えさせらます。生きて欲しいと願うものとこれで終わりにしたいと思うもの。誰に決定権があるのでしょうか。尊厳死にも繋がる問題なのかもしれません。

パピヨン

脱獄映画の金字塔とも言われる1973年制作の「パピヨン」、今回チャーリー・ハナムとラミ・マレックによってリメイクされています。ものすごく重い話ですが、チャーリー・ハナムがかっこよすぎます。
実話ですが、こんなことが実話であるはずないよねというくらい過酷な残酷な話で、人間の恐ろしさを感じます。チャーリー・ハナム演じるパピヨンが獄中で変貌していく姿に人間の極限状態を見て、俳優ってつくづく・・・凄い生き物です。そして一見弱くてひとりでは生き抜けないであろうラミ・マレックス演じるドガ(でも生き抜く為に肛門に財産隠してくるなんて?ですが実話なのでしょうね)との対比した友情が宇宙の陰陽を現してるように感じます。最後にパピヨンが地獄島から脱獄するシーンでのラミくんの姿が切なくて泣ける。ボヘミアンラプソディでメアリーの部屋を見ながら電気をつけたり消したりするフレディ役といいラミくんが表現する人間の弱さや孤独には心打たれます。チャーリーが絶対ラミくんとやりたいと言った気持ちがわかるような気がします。
時代によって善悪の物差しというものは変わります。戦争やナチスの迫害など、今の時代に見聞きするから悪だと声にしますが、この映画にもみられるように人間には正しいとインプットされたら人を死に至るまで裁いてしまえる素質をあるということなのでしょう。現代ではある程度は法というもので線引きされていますが、現代の物差しにしかすぎず人間が人間を裁くことの難しさを感じます。
1973年のスティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン版も是非見たいですが、もう一度時間を見つけて見に行ってみようと思う映画です。

おわり

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