【日記】さよなら8月

太陽が顔を出す位置がだいぶ変わってきた、夏が終わる・・・

8月が終わる。月が変わること年が変わることがなんだい?と思ったり、時間を無駄に過ごしていないかい?と過ぎゆく月日を想ったり

日々同じような事をしているようで、昨日まで気づかなかった「そういうことか!」があったりツボや体表と会話しながら自身の中だけでは感じている小さな成長やら変化やら
身についたこと感じた事は数年後には当たり前になり今のことは忘れてしまうかもしれないけれど、人の成長とはそういった積み重ね、だよね。もしもしカメよカメさんよ

8月は映画見なかったな、少し前に観た

17歳の瞳に映る世界

17歳の高校生オータムは妊娠してしまったようだ。誰にも相談出来ず、住んでいるペンシルベニア州では中絶に親の同意が必要な為、唯一話せる従妹のスカイラーと未成年でも中絶を受けられるニューヨークへと向かう。
その数日間のストーリー

映画の中で、彼女が妊娠した経緯、相手、その件についてスカイラーと話すシーンもなくニューヨークへと向かい、その後も淡々と映像が映し出されていく。
それでもきっとアイツだ、を想像させるシーンはあったり(えーブラック・リストにも出演されているあの方ではないですか)
目の表情、さりげない動きだけで伝わってくる。ひとり体の変化を感じていたり自然堕胎しないかと腹部を強打する姿が辛すぎる。敢えてセリフが少ないのが誰にも言えない姿を強調させる。日常とはそんなもので、細かい説明など、ましてや非日常に対する説明などないものだ。彼女の演じるその姿から読み取れてしまう。すごい演技力。

実際ニューヨークで行われている中絶までのカウンセリングシーン

Never/Rarely/Sometimes/Always

質問に対して4つから答えればいい
それはセカンドレイプを引き起こさない為

彼女が真実を答えているとは思わなかった。
実際キャスティングされたのはリアルカウンセラー
彼女もきっとわかっていたはず、でも今の少女に答えられる事はそれ以上でもそれ以下でもなかったと思う。それ以上は聞かずただ側にいてくれたカウンセラー。

ずっと、癇癪起こされても、お金に困って身を投げ出す事になっても何も聞かず責めず一緒にいた従妹のスカイラー

なぜ?どうして?

自己主張、自己表現
プレゼン力の低い日本人。ここ数年自己啓発セミナーやら書籍やら溢れている。
確かにYESとNOははっきりする事は必要なこともある。

自己主張、自己表現 主語「私」

対話、キャッチボールではなく自己主張がエゴの押し付けのように感じてしまうこともあるのは時代についていけていないとういうことだろうか。そうさ日本人さ。

仕事でも私の持っているものを差し出す事はあっても受け取るのは自由
その塩梅は難しいけれど。仕事をする上でそれが弱さとか曖昧で信頼度に欠けるとかとも言われる。大人になったからとてジャッジはしたくないんだな、私

夢や希望の象徴ともいえるNYの街が17歳の少女たちにとってある意味自由であり彼女達が選んだ道を誰がジャッジすることなく淡々と映し出されるこの作品。

大人または他者は自分が経験してきたこと、見てきたことをベースに人生について色々言うかもしれない。でも17歳の少女たちにとって「今」出来ることに精一杯向き合っていた。それは17歳だろうと50歳だろうとやっぱり「今」わかることで生きるしかないのだろうし、100歳(までいきるかどうかはさておき)になった時その時の自分をジャッジしないでいたい。

17歳の自分と見ている気がした作品。

夏の終わりに自分の為の備忘録