映画も密を避けての座席指定になっていますね。横浜の映画館、平日はいつもゆったりなので密にはならないのですけどね。上映作品も延期になっていたりして、ちょっと楽しみを奪われていますね。
シャイア・ラブーフの自伝的映画「ハニーボーイ」
天才子役の息子オーティスと前科者&アルコール依存克服中&稼ぎなしの父親との物語
自分の不甲斐なさに腹立たしさを感じ、すぐに暴力をふるう父親・ジェームスとひたすら父親に愛されることを望み稼がないと父親が出て行ってしまう不安を抱える息子オーティス。
ジェームスは息子を愛してはいるけれど自分の育ってきた過去から愛情表現がわからず、また自分も夢みたスターになりつつあるオーティスに嫉妬し愛しきれず親になりきれず苦しんでいる。
オーティスの願いは「僕に優しくして僕を殴らないで僕を愛して僕と手を繋いで」ただそれだけなのに。
天使がね、僕と手を繋いでって言うの。ホントはぐはぐしてあげたい。
先日ウラナイ8の深瀬まる先生主催、百合子ナイトの際にも同じ星を持っていたとしてもどこに生まれどんな環境で育つかによって生き方は変わる。という話があった。
星読みの難しさはこういうところにあるのだろう。
翡翠先生が人は父または母どちらかに認められようと人生を歩んでいくとおっしゃっていた。
人は承認欲求によって成長する。家族、学校や社会、自分、何物でもない何かに対して求めているのかもしれないけれど、根っこにあるのは親からの承認なのだろうか。
親は生まれた時から親である、わけではない。親もまた子供に承認されようと歩む中で親になっていくのだろう(たぶん)。お互いの承認欲求がかみ合わなければどこまで行っても交じり合えず、親という役割も子という役割も辛い。
ネタばれになるので詳細は省くけれど成長したオーティスが父親のPTSDを克服させられようとした際に唯一父親がくれた暴力を奪うのか?というシーンがあった。
父親に望んでいたものと父親が与えたもの。かみ合わない。
オーティスが普通の父親を求め「ツリーハウスを作ってよ」と言う。ジェームスは何を思ったのか?(この発想がわからないよ)公道横の公共スプリンクラーで散水する地に種を撒き植物を育てる。(育てるというより勝手に育っている)ジェームスはある日オースティン(ぼこぼこに殴った後に)をバイクの後ろに乗せその場を訪れる。
成長した植物はコカイン。ジェームスはコカインをオースティンに吸わせながら(12歳ですけど)
「花は種を破壊して咲くんだ」
“破壊”という言葉を実際使ったかどうかはわからないけれど、やけに印象的に残ったセリフ。ジェームスという親が子を愛しきれないが故の言葉に聞こえる。親という種から華やかな花を咲かせるのか毒を持った花となるのか。
シャイア・ラブーフは父親役として出演。この作品を通して実の父親と再会し作品にすることでトラウマから解放されたといい、作品はそんな感じに仕上げていたけれど・・・そうなのかな。
真実は二人にしかわからないけれど、やはり互いの承認欲求の交流ポイントが見えなかった。
ちょっと不謹慎なことかもしれないけれど親が亡くなってどこかホッとしたという人もいる。
親の縛りから解放されたとか、そんな感覚か。どうやっても認められないってこともある。ジェームスとオーティスみたいに。
また親を亡くして自分の一部を失くした感覚という人もいる。自分の存在を認めてくれる人がいなくなってしまった喪失感。
親として子としての役割が必ずしも合致するか?というとそうでもないだろう。
無理無理合致させようとして自分を犠牲にすると言った人もいたな。(心身はボロボロになっているのに)でもそれが自分の子供にもまた影響していたような印象だった。やはり自分が幸せと感じられなくては犠牲の上に幸せって成り立たないのではないかな?とか思う。
主演:少年時代を演じたノア・ジュープがかわいくて美しくてもう切なくなる。
この告知ポスターの天使に魅かれて観たのだけれどなんだか気分重くなっちゃったわ。
お盆だからかしら。
青年時代はルーカス・ヘッジズ。ルーカス出演の作品は親子間のテーマばかり見ているな。(たまたまだけど)結構好きな俳優さん。