私の知らない世界に触れる

2016年、気づけば10日以上が過ぎていましたヾ(~O~;)
この調子でいくと、あっという間に年末ね。。。。
なぜ年を重ねると時間のスピードが早くなるのでしょうか?決して先急ぐ人生を送っているとも思えませんが。。。

毎年色々なジャンルの観劇の機会を頂いております。
昨年は鶴瓶師匠の落語と鶴瓶噺、東儀秀樹さん(雅楽)&古澤巌さん(バイオリン)&cobaさん(アコーディオン)、K-company、鼓童、+映画数本etc…
何が好きなの?とジャンルはバラバラです。
今年も同様美しいものに触れていきたいです。

今年は年初めに辻井伸行さんのピアノソロコンサートに行ってきました。
初めてです、ピアノソロ
ピアノの音は好きですが、これが世界で称賛される方のピアノなのでしょうね。
ピアノの音というよりも空気に音色が溶け込んでいくような不思議な感覚、一台のピアノで大勢の観衆を音色のシャボン玉の中に閉じ込めてしまうような、と個人的な感想です。
そして辻井さんがとても楽しそうに幸せそうに演奏されていたことが印象に残りました。
もともと楽器は天と繋がるために用いられたと聞いたことがあります。演奏者の奏でる音色にその才のない地に居る我々が同乗させてもらって天と繋がっているとしたら、演奏者はやはり選ばれし者なのかもしれないなぁ、などと思いながら聞かせて頂きました。

音、音楽はいつの時代も人と共にあったと思われます。
現代社会、少なくとも私の日常生活で耳に入ってくるのは雑音の方が多いですが。
古代中国で楽律と暦はセットで扱われ、音楽も暦も自然界の秩序と調和の美しい現れとして数学的な探求の対象とされていたとあります。
数式の美しさというのはチンプンカンプンですが、自然界に存在する調和・秩序を数学的に分析すると決まったパターンがあり、古典の音楽の中にもこのパターンがみられそれが人々をリラックスさせるそうです。
DNAの塩基配列を一定の規則で音符に置き換えるとちゃんとした音楽に聞こえるというのですからやはり人間は自然界の一部でカラダの細胞にカチリとはまる音が心地よく聞こえるのでしょうかね。
孔子は「詩で始まり、礼で自立し、音楽で完成する」と言われたそうです。
まず詩経の詩を学習することで人間社会や天地のことを知り、外界への知見を広げ、次に「礼」すなわち行動的美意識を実践することで自分が外界に働きかけ、最後に音楽を通じて「われ」と宇宙の一体化を完成する。
音楽は人が人として完成するために必要不可欠なもののようです。
うぅぅぅぅーーー
中学校の頃から音楽の授業が苦手だった。苦手というよりも嫌いだった。
孔子の教えで私は劣等生だ。。。人として完成することなく終るということか。

せめて美しい音楽に触れていきましょう。
受け継がれてきたもの、古典の作品は古さを感じない、むしろ心地よいというのは見た目の世界は変わっていっても自然界の本質や人間の本質は変わっていないということ。

今日も五臓六腑が健康で健幸人でいきましょう♪

あーーー試験がまた控えています。
学ぶだけでは落とし込みは弱いのでかなりのストレスですがここは踏ん張らねばなりませぬ。
ということでブログの更新が滞るかもしれません。と言い訳しておきます。

シェアする

フォローする