体に不調を抱えていると、それに伴う苦手なものが生じます。
私事では以前は外食時、食べる前からお腹が張ってきて胃が痛いというかお腹がぽんぽこりんになるし、食べたら食べたで帰りは胃痙攣のような症状になり冷や汗ものでしたので、とても苦手でした。
その程度ならば外食しなければいいのですが、付き合いは悪い人になります。
当院で多い突発性難聴罹患者の方々、発症時、または聴力が回復した後でも人混みにいると音が反共したり、音がクリアでなく雑音で入ってくるのでものすごく疲れる為、なるべく人の集まるところへは足を運ばなくなります。
また飛行機の気圧変動が耳に負担になりますし、新幹線もあのスピードで駆け抜けるので耳の閉塞感が増幅されたりするのでなるべく控えるようになります。
出張がある仕事ではものすごいストレスを抱えてそれらをこなすか、または拒否することにより我が身を守り、理解が得られない人からは反感を買うということになってしまいます。
主訴を回復させることはもちろん大事ですが、それに伴う個人が感じる不調の諸症状が回復した時、やっと安心され色々な制限から自分を解放することが出来ます。
治療させて頂いている方の中には苦手項目がたくさある方もいらっしゃいます。
それじゃー生活範囲狭いよね。
それでもそろそろここを乗り越えないと先に進めないよね、ということが立ちはだかることもあります。
それを、いやいやまだ無理でしょ、具合悪くなっちゃうよ~と引き留めるのか?
いや~ここまで土台作ってきたんだから、いっちょ!やってみましょうか!
という選択時期があります。
石橋を叩いて叩いて渡る前に叩き割ってしまう人もいます。
あーぁ、もう渡れないや~(おわり)
いつかは渡らなけば先に進めません、ですから渡りきるだけの体力がついた!という場合はドンと背中を押してしまいます。
もしかしたら、途中でリタイヤするかもしれないけれど、一歩を進むことで「あれ?意外と出来るじゃない」と感じれば、一歩を進みだす自信につながると思います。
子供の頃、倒立前転は補助付きから始めます。補助の先生がいないと支えられずあぁーーーっとひっくり返って痛い目にあったり、思いっきり蹴れず上まで持ち上がらなかったり。
しかしある日、あれ?出来た(*´∇`)ノってことになります。
それからは見よ!この見事な倒立を!とばかりに倒立ばかりやっていたこともあります。(なかなか前転しない子)
それからは倒立の見本をするまでになり、得意は倒立!とばかりに我が身に自信がつきます。
成長するにつれてひとつの苦い経験が他のものまで付随して不可能スイッチがどんどん増幅してしまい、自分をセーブする壁は高く厚くそびえたってしまいます。
いきなりその高く厚くそびえたった壁を乗り越えることは出来ませんが、体のバランスを整えていくことで知らない間に壁は低く薄いもの、なんなく飛び越えられるものへと変化していきます。
治療を始めたばかりの時はあれは止めた方がいいとかこれはまだ控えたほうがいいとか、どちらかと言うと過保護なアドバイスをすることもありますが、まだ心配はあるものの少しの傾きなら建て直しは可能だ!という時がきたら、どーんと背中を押してしまいます。
どこその社長さんではありませんが、「Youやっちゃいなよ!」という具合です。
体もひとつひとつの積み重ね
ひとつクリアできれば、自分に自信がつくので、次へのステップに進める。
次のステップでこけても後戻りしているわけではない、またそこをクリアにしていけばいいだけのこと。
治療、体をサポートすることは依存させることではありません。
時には飛び込んでしまえーーーーと背中をドンと押すことも必要なステップです。