2011年3月11日 東日本大震災から3年
もう3年なのか?
まだ3年なのか?
それぞれ思いは異なることだろう。
地震にまつわるTV番組も多くあるようだが私は見ていない。
インターネットでは防災グッズの販売が続いているが何も用意していない。
なにかが違う気がする。
あの時、日本中が今まで不自由なく暮らしてきた中、エネルギーが無限ではないこと。
当たり前の日常が永遠ではないこと。
色々なことを感じていたはず。
あれから3年
少なくとも私は何か学び変わったのだろうか?
スポーツクラブの更衣室であの地震直後でさえ見た、そして今夜も見た二刀流でドライヤーを使う女性を横目に自らの身によほどのことが起きない限り、人は変われないのだろうか?
とあれから3年たった今、考えている。
3/11を前にちょうど読み終えた「複雑系の知」(田坂広志著)
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複雑系の知―二十一世紀に求められる七つの知 (1997/09) 田坂 広志 |
「客観主義の病」の中で綴られている言葉を読みながら
21世紀の今も変わらず流れているのを感じ、自分が傍観者でしかないことを感じた。
あの日のことを忘れてはならないし、あの時に感じたことを忘れていけないのだと改めて思う。
そういう意味でメディアも3.11を扱ってほしいなと思う。
「客観主義の病」一部抜粋・・・長くなるので興味のある方は続きで・・・
たとえば、テレビのドキュメンタリー番組などに記録されている当時のベトナムの人々の現実の姿を、そうした共感の目を持ってみつめることなく、客観的な歴史的事実としてみることの虚しさを感じてはならない。あのサイゴン陥落のときに、逃げ惑う人々。飛び立とうとする最後の米軍機に、すがりつきながら乗せて欲しいと嘆願する人々。その人を足で蹴落とす米軍の将校。脱出する最後の船に全員が乗ることが出来ず、わが子だけを乗せ、泣きながら必死の思いで見送る父親。その人々の、その姿も、ひとつの生を精一杯に生きようとした人々の姿にほかならない。これらの人々のかけがえのない生に対する深い思いをもつことなく、客観的に歴史を語ることは許されないのではないか。
そして、こうした歴史や政治や社会を、その現実から離れて客観的に語れるという我々の心の在り方こそが、実は、社会の直面している諸問題の解決を妨げている最も根深い理由なのではないか。
二十世紀。我々はあまりにも知と情を分離しすぎてしまった。
ある若い哲学者が、こうしたテレビのドキュメンタリーを見る時、流れる涙が止まらないということを、その著書において語っている。
こうした感性を持つことなく、哲学も、政治学も経済学も、いやすべての知を語ることが出来ない時代こそ、我々は、築いていくべきではないのか。
そうして、その時代を迎えたとき、ようやく、傷ついたれ我々の歴史に、癒しが訪れるのではないだろうか。
この本が書かれたのは1997年
まだ癒しの時代は迎えられていないようだ。